こんばんわ!!
平和を作る和作です!
今日はちょっと最近国際関係論を勉強していて感じている事をちょっと書きます。
今日は僕の名前の由来である「平和」について。
僕のゼミでは「平和と人権」をテーマにどうすれば戦争がなく「平和」な国際社会を作れるか研究しています。
勉強している中でしばしば耳にするこの平和って言う単語。
広辞苑によると平和の定義は「戦争がなくて世が安穏であること」
では「世が安穏」とはどのような状態を表すのでしょうか。
イギリスのエコノミスト紙が発表する世界平和度指数によると日本は世界で3番目に平和な国のようです。
しかし年間自殺者が3万人を超える国が本当に世界有数の平和な国なのでしょうか。
そもそも平和という単語自体マクロの視点での意味合いが強い言葉だと思います。
平和=国家間の戦争がない状態というのが国際社会が定義する「平和」なのでしょう。
国連憲章の中で「平和」が語られる際も国家間の争いが無い状態の事を指します。
では内戦はどうなるのか?虐殺は?迫害は?
現状では国連の目的は国家間の平和維持であり、人権を守ることは国連の機能としてほとんど存在していないと言っても良いでしょう。(もちろん例外はあるし、人権保護のための機関も存在するんですけどね)
ちょっと話がそれましたが(国連と人権について語りたい人はいつでもウェルカム)、平和っていう言葉クリスチャンはどうとらえるべきなのでしょうか。
「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」
マタイの福音書 5章9節(名前の由来)
のなかでイエス様が語られた「平和」とはどのような状態を指すのでしょうか。
キリストにある平和とは何でしょう。これは僕自身がいつも自問自答している質問でもあります。
僕なりの考えはあるんですが、考えを押し付けたくないし簡単に答えを出すようなこともしたくないので問題提起に留めておきます。(笑)
罪赦された者として、この世の中にあって「平和」を作る者として召されている僕たちがどう「平和」を築いていくのか。職場で、学校で、友人関係の中で、「平和」を築く者になるためにどうすれば良いのか。
みんなで考えていきましょう。考えたらコッソリ教えてください!!笑
その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解 させてくださいました。」コロサイ1:20
0 件のコメント:
コメントを投稿